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亀石と運玉

御本殿前広場の眼下には、太平洋・日向灘の紺碧の海原が広がり、御船岩、二柱岩、扇岩、夫婦岩などがそそりたっています。その奇岩怪礁の中でも特に目立つのが、亀石です。桝形岩ともいいます。
『日本書紀』には、御祭神鸕鷀草葺不合尊の御母君、豊玉姫命がお子さまをお生みになるとき、海宮より大亀に乗って来られたと記しています。
 鵜戸神宮では、この乗って来られた亀が今の亀石になったと伝えています。本殿前の広場から海岸を見下ろすと十二メートル先に、頭から尻尾まで約八メートルの亀石があり、その背中には六十センチ角の枡形のくぼみがあります。
以前はそれに向かってお賽銭をなげ、祈願したそうです。現在は、粘土を丸くこね「運」の文字を押して軽く焼いた「運玉」を投げるように変更されています。
これには訳があります。昭和二十九年頃、鵜戸の小学生は決まって月曜日に遅刻をしたそうです。前日の日曜日に参拝者が亀石に投げた賽銭を、月曜日の早朝にそのまわりからそっと拾っていたので学校に遅刻したというのです。

そこで、当時の後藤幸平宮司をはじめとして学校関係者が、子どもの健全育成のために智恵を出し合って今の「運玉」を作りました。結果は、子どもがそれを作り、鵜戸神宮に納める。鵜戸神宮は、子どものための学費や、修学旅行の費用等に充てるための補助をするというものでした。
この制度は、その考えを堅持して今でも続いています。現在の鵜戸小中学校の児童生徒とその両親が中心となり、心を込めて謹製しているのです。またのちには、「運玉」作成のその精神を生かすため、日南市風田にある知的障害者施設「つよし学園」も作って納めるようになっています。
この学校の卒業生たちの思い出は、友達や先生と泥だらけになって作った運玉のことや、正月には鵜戸神宮で運玉授与を奉仕したことだといいます。
今も昔も、老いも若きも、参拝者の楽しみは「運玉」です。男性は左手で、女性は右手でお願いを込めて、亀石めがけて一心に投げます。亀石の背中に命中すれば良し。枡形のくぼみに入ればさらに良し。参拝者の願いを叶えんと、運玉は今日も飛び交っています。