①吾平山陵
御祭神のお墓で速日峯(はやひのみね)頂上にある。文献の中には日本書紀に「葬日向吾平山上陵」とある。
宮内庁御陵墓参考地となっているのは鹿児島県吾平町にも吾平山陵があり、明治28年に鵜戸神宮の陵墓は伝説地と指定された。
2月2日にお祭り「吾平山上御陵祭」がある。
②御本殿
八棟造・県指定有形文化財
主祭神の産殿の址とされる洞窟内に建つ朱塗りの色鮮やかな本殿。お参りはここで行い、作法は二拝二拍手一拝。
御主祭神の外に五柱の大神様をお祀りしている。延暦元年の再興以来、何回となく修改築されており、近いところでは昭和43年に行い(257年ぶり)、平成9年にも改修を行っている。
③お乳岩
母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
④お乳水
ご主祭神は、豊玉姫がくっつけて行かれたお乳岩から滴り落ちる水でつくった飴を母乳がわりに、お育ちになったといわれている。現在のおちちあめもお乳岩から滴るお乳水でつくられている。
⑤霊石亀石
ご本殿下の磯に、母君豊玉姫が出産の為に乗って来られたと言われる霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩)がある。この亀石の背中に桝形の窪みがあり、この窪みに男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれている。
⑥八丁坂
番古い石段参道で、吹毛井の港から神宮の山門まで長さ約800m(八丁)の石段が続いている。
438段上ると別当墓地があり、下りは377段ある。この石段は「坊園の尼」さんが延暦年中(782〜806年)に近くの海岸の磯石を頭に担いで築いたといわれている。
⑦別当墓地
八丁坂の最高所に位置する。別当とは、境内に仁王護国寺があった頃のお坊さんの中で一番偉い人の役職名である。
第一世の「光喜坊快久」の墓地を始め、あまたのお坊さんが眠っている。昭和56年に桓武天皇延暦中興千二百年を記念して墓地の整備が行われた。
⑧社務所
一般的に言うと事務所のことである。
以前の社務所は茅葺きの何とも趣のある建物であったが昭和45年に焼失した。
⑨儀式殿
以前の社務所あとにある。結婚式や直会(祭りは晴であり、そこから日常に戻るため、神様に供えた物を参加者が頂戴する行事。)会場として使用している。
※天皇陛下が行幸された際の御休憩所もある。
⑩斎館
装束や神饌(神様に供える食べ物や御神酒)がおいてある建物。
⑪波切神社
波切不動尊という。
1月28日に例祭があり、講社(特に漁師の方々が多い)のお参りがある。
⑫磨崖仏
磨崖仏(まがいぶつ)は日南市指定文化財。
鵜戸山仁王護国寺の第47世の別当隆岳が明和元年(1764)から同2年に仏師延寿院に山肌の岩に彫刻されたものである。
当時は鵜戸山守護仏として極彩色に施され祀られていた。
現在も新駐車場入口から見学でき、信者のお参りもある。
⑬千鳥橋
参道にある朱塗りの橋で、眼前に広がる日向灘と奇岩は見応えがあり、ここで記念写真を撮る参拝客も多い。
⑭玉橋
参道にある朱塗りの橋で、ここを渡るといよいよご本殿が見えてくる。
⑮神門
はじめにくぐる朱塗りの色鮮やかな門。
⑯楼門
神門の次にくぐる門。
⑰鵜戸千畳敷奇岩
鵜戸神宮の鎮座する鵜戸先の南面にある。今から約1000万年前から100万年前にかけて堆積した地層(新第三系宮崎層郡)で、砂岩と泥岩が交互に堆積してできている。この地層は10度から20度傾いていて日向灘に面しており、長い年月にわたって日向灘の激しい波浪や風雨にさらされ、浸食されて現在の姿となった。こうしてできた波状岩は別名「鬼の洗濯岩」や「鬼の洗濯板」と呼ばれ、とりわけ鵜戸千畳敷奇岩はその広さから県指定の文化財に指定された。
⑱山窟前の嚴岩
鵜戸山窟の前の海中に種々の形状の岩石が屹立している。人口は全く加えていないが、その形状の奇なる、その色彩の厳たる、国内にも海外にもその類を見ない神秘の霊境である。
風の強い日には太平洋の怒濤が岩を噛み、激しい波しぶきが上がる。
⑲朝日の風景
鵜戸神宮は、雄大な太平洋の断崖の洞窟の中という風光明媚な地に位置する。太陽がまっすぐに登るくに・・・「ひむかのくに・みやざき」にふさわしく水平線から朝日が登る光景は美しく神秘的。
⑳鵜戸ヘゴ北限自生地
ヘゴは、湿度の高い林の中を好む木生シダである。高さは4mにも達するものがあり、2メートルもある葉が八方に広がる。
鵜戸神宮北側の杉が混在する自然林のくぼ地にある「鵜戸ヘゴ自生北限地帯」は、その生態が珍しく国の指定天然記念物となった。